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【書評】『ゼロ・トゥ・ワン』を読むべきは起業家でもビジネスマンでもない、あるいはピーター・ティールが聞かせてくれた素敵なジョークについて

 
学生だった頃、よく見た光景だ。
 
先生「自分の頭で考えなさい、何か言われたらまず疑ってみなさい」
生徒「はい!わかりました!」
先生「うむうむ」
 
ありふれた場面だ。でも何かがおかしい。
シニカルなくせに、臆病だから権力にだけは敏感で、何も言えなかった。
何か言えるだろうか、今なら。 
 
 
最も著名な起業家・投資家の1人として「君はゼロから何を生み出せるか」と問いかけるPeter Thiel(ピーター・ティール、ピーター・シールと書かれたりする)、その著作『ゼロ・トゥ・ワン』はとてつもなく有名になった。どこの書店に行っても目にすることができるし、最近では「ビジネス書大賞」まで獲ったと聞いた。昨今のビジネス本でも珍しい、清々しいほどのヒットを演出している。*1
 
ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか

 

 

この本が他の並居る「ベンチャー界隈」本とは決定的に異なるということについては、これまた著名な投資家、瀧本哲史氏が書いた「序文」を読めばわかる。*2

 

瀧本氏の序文も含め、この書籍に言及する情報を総合すると、大体こういうことだろうか。「この本は起業家、あるいはそうなろうとする者、あるいは起業家に特有の思考から学ぶべき全ての者が読むべき本だ」と、このように解釈する人は多い。

 

しかしきちんと読めばわかるのだけれど、この本は起業家・起業志望者が読むべきバイブルではなく、サラリーマンがキャリアを再考するためのビジネス本でもない。よくある誤解の中でも最も手に負えない誤解だが、競争に参加する全ての人間が状況を省みるための自己啓発書でもない。より正確な言い方をすれば、彼らは商業的に利用される消費者であって、この書籍から汲み取る価値を最大化できる読者ではない。
ではこの書籍は何だろうか?この本を有用たらしめる読者とは誰だろうか?
僕の答えは次のようなものだ。この本は、文筆活動に関わる(或いは人を騙そうとする活動に関わる)全ての人が模範とすべき参考書である。*3
 
 
本書は以下のように要約することが可能だ。
 
まず始めなければならないのは、無意味な競争とは訣別すること。そして「世界に関する命題のうち、多くの人が真でないとしているが、君が真だと考えているものは何か?」という問いに自分の答えを持つことだ。それによって独占的な地位を築く企業に参与し、テクノロジーを前進させ世界を発展させていくこと。それこそが著者の望みだ。
 
本書を起業家向けだと思わせるのはPeter Thielその人の背景であろう。PayPalの創業者、Facebook初の外部投資家…有名な話には事欠かない人物だ。そんな人物が「君はゼロから何を生み出せるか」と問いかけるのだから、当然ベンチャー界隈向け、せいぜい起業を視野に入れたビジネスマン向けの本にしか見えない。
 
しかし実際には、本書は全ての人に、一種の思考実験を勧める書籍である。まず、思考実験として答えるべき問いをThielは設定する。その問いが「多くの人がxxでないと考えているが、実際にはxxだと君が考えるものは何か?」というもので、Thielの人生における最も重要で根本的な課題設定の1つだ。当然、本書でも繰り返し登場する。
Thielがビジネスを重要視しているのは当然だが、この書籍においては、ビジネス(特にスタートアップ)は、上の「問い」への回答を現実のものとするための手段でしかない。
 
(この「問い」については以下のリンクが詳しい。)
 

 

 
そしてこの書籍では、著者Thiel自らが、いくつかの重要な目的意識に照らして回答を続ける。セルフ大喜利と言ってもいい。

以下に例を挙げよう。本書の章立ては1章から14章(+「おわりに」)で構成されるが、全ての章がこの問いの構造に則っていることがわかるだろう。


1. 「僕たちは未来を創ることができるか」
多くの人は「グローバリゼーションが世界を発展させる」と信じているが
実際には、他の何でもなく「新しい考え方」によってテクノロジーが実現され世界を発展させる

2. 「1999年のお祭り騒ぎ」
多くの人は米国経済バブルへの反省から、スタートアップへの誤った教訓を信じているが
実際には、その教訓はバイアスに過ぎず、隠れた原則が存在する

3.「幸福な企業はみなそれぞれに違う」
多くの人は「資本主義下での競争こそが米国を発展させてきた」と信じているが
実際には、独占こそが成功企業の条件であり、成功した独占企業こそがテクノロジーの前進に最も貢献する

4. 「イデオロギーとしての競争」
多くの人は当然のように競争に参加するが
実際には、競争は誤ったイデオロギーでしかなく、参加者に多くのものを失わせる

5. 「終盤を制する」
多くの人(企業)は短期的なキャッシュフローを追求するが
実際には、独占企業は長期的なキャッシュフローを追求する

6. 「人生は宝クジじゃない」
多くの人は「あいまいな楽観主義」を信じているが
実際には、社会が「明確な楽観主義」を取り戻さなければテクノロジーの実現は果たされない

7. 「カネの流れを追え」
多くの人は「世界は正規分布に従う」と信じているが
実際には、世界はべき乗則に従う。それがスタートアップの世界であったとしても

8. 「隠れた真実」
多くの人は「隠れた真実など存在しない」と信じているが
実際には、まだ多くの「隠れた真実」が存在する

9.「ティールの法則」
多くの人は「スタートアップにおいては同程度に重要な意思決定が連続する」と信じているが
実際には、スタートアップにおいては創業の瞬間が最も重要だ

10. 「マフィアの力学」
多くの人(企業)は優れた企業文化を後付けで持とうとするが
実際には、企業文化とはあくまで企業そのものである

11. 「それを作れば、みんなやってくる?」
多くの人(開発者)は「販売・営業なんてどうでもいい」と信じているが
実際には、優れたビジネスにおいてプロダクトと販売は同程度に重要だ

12. 「人間と機械」
多くの人は「コンピュータは労働力としてやがて人間に置き換わる」と信じているが
実際には、コンピュータは人間を補完するもののままだ

13. 「エネルギー2.0」
多くの人(企業)は「クリーンテクノロジーの大きな波に乗れば成功できる」と考えていたが
実際には、一連の現象はバブルに過ぎなかった

14. 「創業者のパラドックス
多くの人(企業)は人物の悪い側面に注目し、「優れた」人物によって同質化した官僚組織を作ろうとするが
実際には、こと創業者という文脈では、非凡な人物は良い側面・悪い側面の両方を宿している

おわりに 「停滞かシンギュラリティか」
多くの人は「放っておいても停滞かシンギュラリティが訪れる」と信じているが
実際には、私たち自身が選び、行動しなければ望んだような未来は訪れない

 

これだけ繰り返し繰り返し自分の立てた「問い」に答えながら(天丼にも程がある、アメリカ人は程度ってものを知らない)、Thielは自身の思考内容に読者が従うべきだとは考えず、読者が自分自身で「隠れた真実」を発見することを促す。「問い」へのThielの回答を追従することなく、むしろこの「問い」の形式に従って自らの答えを出す訓練を積まなければならないと、言葉によって明示的にも、まさにThiel自身が繰り返す構造*4によってメタ的にも、Thielは主張している。
 
その「問い」に自分の答えを出そうとする思考訓練は、ビジネスに関わる多くの人を助けるだろう。優れた問いを設定することは、優れた答えを出そうと躍起になるよりもずっと、ずっと重要だ。世の中にある飽和した議論の殆どは問いの立て方に問題がある。この適切な投げかけは外資コンサルに行くかベンチャーに行くかに悩む学生、新規事業立案なんてやってるビジネスマンからしたら、天啓を得たようなものかもしれない。少なくとも間違った問いによって間違った課題を正しく解こうとすることからは救われる。そういった意味で彼らはターゲットされた読者、消費者だ。
 
だが、「その『問い』の形式に従うこと」さえThielの思想の一部であると言うことを忘れてはならない。従ってThielから「真に」学んだ者は、Thielに騙られた「問い」に自らの答えを出すのではなく、まず「新たな問い」を立てなければならない。
即ち、「Thielは彼の『問い』に答えを出すべきだと主張するが、実は別の『新たな問い』に答えを出すべきなのではないか?」という発想に至らなければ、彼の主張を理解し実践したことにはならないのだ。(ああ、真理を解したがゆえ真理から離れねばならない、何という悲劇だろう)
 
だというのに、読者の多くは実際には、Thielの「問い」に自分の答えを出そうとする状態に陥ってしまうだろう。彼らこそ、Thielが最も厳しく警鐘を鳴らした対象にほかならないというのに。彼らは本質的にどこまで行っても消費者で、この警句の目の前に立ってなお搾取される。確立された時代遅れの「正解」に縋るMBA留学生とも、三菱商事マッキンゼーに行けば人生安泰だと思っている就活生とも、何の差もない。(ああ、まるでThielが糾弾した競争のようだ、何という悲劇だろう)
 
だから、僕の結論はこうだ。「自ら考えなければならない」と自分の思想を相対化したように見せながらその実、思想の根本にある「問い」を読者の思考に滑りこませるレトリックの巧妙さ。それこそがThielの筆致を際立たせるものであり、文筆活動に関わる人、ものを騙ろうとする人が規範とすべきものだ。それ以外の解釈は全て、救いようがない消費者の痩せた発想だ。
 
「問い」は気色悪いほどに魅力的だし、全体は質が悪いほどに技巧的で、部分は意地悪いほどに自然だ。現に僕が書いた冒頭の文章も、まさにThielの立てた「問い」の構造に嵌ってしまっている。「多くの人が『ゼロ・トゥ・ワン』はスタートアップ/ビジネス/競争に参加する人のためのものだと考えているが、実際には他人を騙る人のための参考書だ」と。僕も既に、Thielに騙されているのかもしれない。
 
 
 
それにしても
先生「自分の頭で考えなさい、何か言われたらまず疑ってみなさい」
生徒「はい!わかりました!」
先生「うむうむ」
なんて、悪い冗談*5みたいだ。まあ、企業に入った今の方がこういう場面を目にすることは増えたし、今の僕は教えを受け取る者として、頷きに精一杯の皮肉をこめることができる。
そんな冗談が世界中で出版され(グローバリゼーションだろうか)話題になって、僕だってその魅力を無視できずにいるのだから、もうこれはジョークでは済まされないのだろう。
"The show must go on!"と音楽は鳴り響き、まっすぐに狂った光景が今日も世界中で繰り広げられて、世界の発展に寄与しているのか、知性の衰退を進めているのか。
わからないけれど、僕自身のこれからについてくらいは選ぶことができるのかもしれない。
少なくともThielはそう言った。そして、僕は頷く。
 

*1:実際に売れているかは知らない、ただ売ろうとしていることはわかる。誰だって虚勢を張りたくなる時がある。計画的にというのなら、尚更だ

*2:初めてこの本を手に取ったとき、僕は瀧本氏の序文を読んで納得し、棚に戻した。読み通したのはずっと後だった

*3:全ての仕事が人を騙すことによって成り立っているとしたら、この本は全ての人に向けられた本だ

*4:なお、この「問い」の形式はまさに”People may say A, but I think B”(別に”It is true”だって”Though”だって構いやしないのだが)という基本的な二項対立を利用した「譲歩→主張」の構造に則っている。この論法は全てのアメリカ人が何年もかけて教わる、「意見の述べ方」や「文章の書き方」における最も重要かつ根本的な構造であり、文才に長けた者ほど、巧妙に隠しながら、自然に認識させるやり方でこの論法を用いようとする。だというのに、今まさに成功者となった(失敗者と言った方が正確かもしれない)Thielが、アメリカ人に向かってあからさますぎる方法でこの構造を投げかけているのは、皮肉と言うほかない

*5:どうやって人を育てたらいいのかという全ての問いは、この冗談への不満足を乗り越えるか、さもなければ徹底的に無視しなければならない